さて、前々回にご案内した
被災地シリーズ第2回目に参りたいと思います。
祖父の法事のあと、
私の父の実家(岩手県)宮古市~山田町~大槌町~釜石~陸前高田~(宮城県)気仙沼まで
約120キロ位を国道45号線という海沿いの道を下ってきました。
帰りは、世界遺産になったことで有名な中尊寺金色堂のある一関から高速で戻ってきましたので、
気仙沼のさらに数十キロから100キロ先にある、南三陸町、石巻などは寄りませんでした。
東北って広いな…と改めて実感しました。
前回と同じく、プロの取材ではないですし、
わざわざ車を降りて写真撮影するという物見遊山的なものではないので、
写真の写りはイマイチです。
でも、3.11から4カ月を過ぎてもなお、被災地がこういう状況であることをお知らせしたく
少しでも何か思ってもらいたいと思って、撮影しました。
ということで、今日も写真枚数が40枚超えています。
遠くで実感できない方や、被災地に縁のない方でも、
同じ国で起きているこの現実に、少しでも何かを感じていただければ幸いです。
罹災証明書を持っている被災者が同乗する車には、
高速道路が無料になる制度があります。

その場合には、

ETCゲートを通過せず、一般のほうのゲートを通過してください。
大宮からここまで500キロくらい…
もうすぐ宮古…でもここからあと100キロあるんです。

沿岸部ってとても遠いので、ボランティアの人も集まりにくいんですよね。
宮古市内の中学校も、みんな頑張っています。

こういう写真集が、バカ売れしているそうです。

仙台の従妹も2冊買ってあると言っていました。
この写真の表紙は、宮古市役所から撮影した当時の津波の風景です。
その隣にある郵便局は、今や

営業できません。
宮古市内は

また「解体可」
みやこの市報には


災害弔慰金等の説明や

トライアル雇用奨励金のほかに上乗せの助成金があり、その額がさらに拡大されました。

宮古市金浜地区、堤防決壊…

私が毎回行っていた海沿いの温泉MARS

その隣にあったファミリーマートです。

山田町に入る手前には仮設住宅ができていました。

山田町です。

津波で流され何もありません。人もいません…みんなどこへ消えてしまったのか…

まだこういう状態です。


一面焼け野原の状態です…


あまり人が集まっていないそうです…(交通の便が悪いとのことで…)
ここは私がいつも行く浪板海岸という海水浴場でした、
白い砂浜が浸食されて海水浴場はすっかりなくなってしまいました…

この辺りから大槌町になります。




橋も壊れました。

右奥が大槌病院ですが、おそらく機能していないと思います。
街中は、土埃と生臭いにおいで窓が開けられませんでした。



ゴーストタウンです…
走っていて怖いです。戦争のあとのような光景です。
人がいない…。
この状態ですから、家の中のものを全部持って行かれたという話も…
前々回のブログで登場した梨絵ちゃんやほかの子たちも家の中のものは持って行かれてしまったそうです…
(日本でもこういう悪質な人がたくさんいるんですね(怒))
とにかく一面何もないんです…

信号は止まったまま…たまに手旗信号でおまわりさんがたっていてくれますが、
小さい交差点はゆずりあいです。

ゴルフ練習場は骨組みだけ…

津波の高さがこれ以上あったことを物語ります…
今回の津波がどのくらいの高さだったのか、走ってみていて思ったのは、20メートルとか30メートルとか…
しかも海から何キロ先まで行ってしまったのだろうというくらい奥行きもあります。
さらに南下していくと鵜住居や片岸町などがあります。
この辺りはどのへんだか忘れてしまいました。


ここから釜石です。

おそらく、新日本製鐵釜石製鉄所の設備だと思います…

頑張ろう!!

しかし釜石市も街中はゴーストタウン…

がれきの山、山、山…

解体可の車の山、山…
次は陸前高田に入ります。

同じように一面、何もない状況です。
私がここまで見てきた中で、
最も戦場の跡地のように、町ごといっさいがっさい何もないところは、陸前高田だと思います。



道の駅、高田松原はもはや使用不可…

気仙沼警察災害対策本部は、気仙沼の道の駅に設置されており…

兵庫県警、長野、北海道、千葉県警など多くの都道府県から応援の車が来ていました。
陸前高田にある1本だけ残された、津波に耐えた松の木です。

叔父は出発する日の前日、
「晶子ちゃん、本当にあの景色に耐えらえるのか?俺は絶対に耐えられないよ!」
と私に話していました。
そのくらいショックだったことは想像に難くありません。
自分の住んでいた町が、街ごとないのですから…
陸前高田には私の叔父の実家があります。
叔父の実家は土地家屋調査士事務所です。
事務所も車も全部流されました…
命だけは無事でした。
ただ、叔父の実家は陸前高田市の山の上にあったので、残されました。
山ひとつ自分の土地だったので、叔父が陸前高田市に電話をして、
その山を仮設住宅の建設に無料で用立てをしたそうです。
やっとその仮設住宅が、出来上がったそうです。
陸前高田市に電話をして、3カ月くらいかかったそうです。
嬉しそうにこの話をしてくれました。
叔父は仙台在住で、自身も建物全壊の被災者です。
それでも、助け合ってやれることをやっている…
こういう親族がいて、とても誇りに思いますし、私が力をもらえます。
さすがに帰宅した夜は、残像で怖くなりました。
帰りは12時間ドライブ、約700キロ…
いつも宮古に行くときには、
【いつか国道45号線を下ってみたいね~】と海沿いの道を走るのを楽しみにしていました。
こんな姿を見るために国道45号を走ることになるなんて、思ってもみませんでした。
堤防も決壊がひどいですから満潮になれば海水が流れ込みます。
塩害で米も育ちません。
お土産を買おうとしても、お店がやっていません。
かつての国道45号線の姿に戻るのは、何年後なのか?何十年後なのか?想像もつかない帰路でした…
私に直接できることなんて、何もないのかもしれません…無力です。
ただ、今目の前にある自分の仕事を一所懸命すること、
これが間接的に支援になるのでしょう…。
さあ、今日も動け!動け!動け!
考える前に動こう!と鞭を入れました~♪
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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